靴磨きのオジサンは、駅出口の真ん前に3人並んでいましたが、空いていた向かって一番左の方にお願いしました。「500円」の札がかかっていました。「まあ、500円なら、いいかぁ」って思いながら、あまり気にせずに、座りました。
すると、座って、靴を脱いだ否や、この靴磨きのオジサンは、「お客さん、この靴たぶん買ったときからこんな感じだったよね。ちょっと、黒さが薄いだろう? このまま磨いても、あんまりピカピカにならないんだよね。でもさ、これつけると、ぴかぴかの真っ黒けになるけど、どうする?」と、勧められました。「いくら」って聞くと、500円でした。500円の追加でピカピカになるのなら、いいやと思って、お願いしました。
すると、言葉通り、ピッカピカになりました。靴を磨くのって、本当に気持ちがいいですね。嬉しくなって、今度は、「そういえば、僕、靴の底が斜めに擦れちゃうんですよ」って、言ったら、すかさず「靴底につけるペラがあるから、これつけてみたら」といって、見せてくれました。「これ付けとくと、減っても交換するだけだから、長持ちするよ。昔は金属製だったから、街歩くとキンキンうるさかったけど、今のはプラスチック製だから、音がしないんだよね。」と言います。私の靴底は、昔から斜めに擦れていたので、これはイイと思って、お願いしました。値段は、やはり500円でした。
結局、私は500円の札をみて座ったのですが、終わった頃には1,500円を払って、すがすがしい気持ちで、靴磨きのオジサンのところをあとにしたのでした。
これは、商売が本来あるべき姿を見せているストーリーだと思うんです。
まず、500円というのは、基本料金です。これは、まあ、靴磨きサービスには不安なく払える金額です。値札をかけておかないと、ボッタくられたら叶わないという不安心理が働いて、お客さんは座ろうという気がおこりません。
私が椅子に座り、靴を良く見た上で、ピカピカに黒くなるオプションを500円ですすめてくれました。
確かに私の靴は、買って1年以上経っていて、そんなに良い状態ではありませんでしたから、「そんなにきれいになるのなら、試してみるか。まあ、500円だし」と言う風に思って、「じゃ、それでお願いします」と、口に出していました。
さらに、セールスのタイミングが絶妙です。オジサンは親の代から数えて50年間、丸の内口で靴を磨き続けてきたプロ中のプロです。座る前にでも、靴を見ただけで、その液をつけないと黒くならないことは分かっていたはずです。でも、僕が座って、目の前で靴をよく見てから、「アドバイス」されました。座る前に、「お客さん、その靴、この液つけないときれいにならないよ」って言われたって、「いちいちうるさい靴磨きだ」と感じて、座らなかったかもしれません。座ったあと、靴を見たあとだったから、「ああ、職人さんがそういうんだから、間違いないんだろう」って、信じられたのです。
今度は逆に、もし、この液をすすめてくれなかったらどうでしょうか。今度は500円が、なんだか高く思えたかも知れません。だって、ただ単にこするだけでは、大したつやは出なかったはずだからです。満足度は余り高くなかったに違いありません。本当にすすめてくれて、良かったと感謝しています。
もし、お願い口調で「ぴっかぴかに黒くなる薬品があるんですけど、つけていただけませんか?」なんて言い方をされていたら、「別にいいよ」で終わっていただろうし、頼んだとしても、「つけてやったんだ」という感情が心に残り、良好な人間関係ができにくかったんでしょう。主人と奴隷の関係です。「俺は金払ったんだから、おれは偉いが、あんたは俺のおかげで、お金が得られた」という風な関係になるからです。
しかし、「つけると黒くなるけど、どうする?」と、まるで医者か何かに言われるかのように、きっぱりと、営業口調でもなく、堂々と、「どうする?」と、選択をこちらに委ねて来たのです。
オジサンは磨くのを始める前に、液をつけるかつけないかの判断をこちらに委ねてくれました。断る自由も、こちらにはありました。自分の判断が売り手に強制されたものではなく、正しい状況で判断を下せたという満足感が残っています。
結局、私は当初の代金の3倍を支払って、大いに満足をしたのでした。
このように、オプションをちゃんと売って、売上げを上げて、お客さんを満足させるというのは、まさしく、プロの商売人のやることだと、関心しました。マクドナルドで、注文時に飲み物を頼まないと「お飲物はいかがですか?」と聞かれるのと一緒です。アップセールスという手法です。しかし、マニュアル通りの機械的な対応とは違う、プロとして、「俺は結果の出る仕事しかやらねーぞ。その結果に対しての対価は、正当にいただくぜ!」という迫力を感じます。
この靴磨きは、客である私に、対等の立場で、まるで医者のように、アドバイスをしました。売りつけるのではありません。「これつけるとさ、ぴっかぴかになるんだよ」って言って、「どうする?」って、選択権をこちらに委ねたのです。もし、「おつけになりませんか?」って売り込まれたら、「つけてやったんだ」って、なんだか高飛車な態度に出そうになります。しかし、選択権がこちらにあって、判断をしたのは自分なわけですから、そんな気には一切なりません。それよりも、「そんなイイ情報を教えてくれて、あなたはやっぱり、靴磨きのプロだ。今度もぜひ、お願いするよ」って気持ちに、僕はなっています。
商売って、本当はこうでなくてはならないなと思いませんか? 売ってあげて、買った相手に感謝される。仕事をしていて、これほど気持ちが良く、嬉しいことはありません。これが一番ですよね!
(田上恭由執筆「商売繁盛デザイン研究所 ニュースレター」6号 2002年9月15日号より抜粋、加筆、要約」)
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